灯ろうへのこだわり

 楽庭の石灯ろうは、島根県出雲地方で産出される来待石を加工しており、出雲とうろうと呼ばれています。来待石は風合いや色合いに趣があり、灯ろうの風情には最適な石質です。来待石は、宍道湖の南岸(松江市宍道町の来待地区周辺)に分布する大森来待層で採れる1,400万年前(新第三紀中新世中期)の火山堆積物が海底に堆積して形成された凝灰質砂岩です。大森来待層では、サメの歯、貝類、樹木など、堆積当時の生物・植物の化石が産出します。1,300万年前に絶滅した哺乳動物 パレオパラドキシアの化石も発見されています。大森―来待層で採れる来待石は、豊富な埋蔵量を有しています。石質が均一であるため、良質な石材として利用されてきました。
古くは、5世紀ごろ(古墳時代中期)には古墳の石室や石棺に使用されています。

 中世には、宝篋印塔・五輪塔などの石塔(供養塔・墓石)や、石段・石垣などの建材としても使用されるようになりました。江戸時代になると、来待石は御止石と呼ばれるようになり、松江藩の許可がなければ藩外へ販売することができない石材であったと伝えられています。松江城にも、石段や水路枠などの建材として来待石が使用されています。その他、石仏などの彫像、庭園石材、生活用具などにも広く使用されるようになっていきました。

江戸時代後期には、日本海航路や陸路によって建材や石灯ろう、狛犬(こまいぬ、出雲唐獅子)などを始めとする様々な来待石製品が、全国各地へと盛んに運ばれていきました。

 来待石は現在でも、国指定の伝統的工芸品である出雲石灯ろうや、石粉を利用した石州瓦・石見焼の釉薬(ゆうやく)の原材料として知られています。また、彫像や石碑などのモニュメント、建材などにも幅広く使用されています。

織部灯ろう

楽庭では、主に2種類の石灯ろうを使用します。一つは織部灯ろうです。織部灯ろうは、わび茶を大成した千利休の弟子である茶人古田織部が考え出したものと伝わっている灯ろうです。他の灯ろうと比べて奇抜で特徴的な姿から、桃山時代後期から茶室灯ろうとして広く愛好されています。主に、蹲踞(つくばい)の鉢明りとして使用する、四角形の火袋を持つ活込み型の灯ろうです。その為、主に露地(茶庭)で使用されます。

雪見灯ろう

もう一つは雪見灯ろうです。雪見灯ろうは、もともと水辺に据えて水面に反射する灯を愛でて楽しんだことから、浮見灯ろうが変化して雪見灯ろうと呼ばれるといわれています。それ故、雪見灯ろうは基本的に海や川など水を意味する場所の近くに置きます。雪見灯ろうは、丸みを帯びた形であるため、重い石でありながら、繊細で優しいイメージを醸し出しています。日本庭園の自然美を表現するには欠かせない灯ろうとして、代表的な灯ろうです。